鹿児島県いちき串木野市羽島に鎮座されてる『羽島崎神社』へ参拝してきました。
何度か参拝させていただいてるのですが、参拝記を書いてなかったので改めて(*´꒳`*)
羽島崎神社の御祭神・由緒・御利益
御祭神と由緒
創建の年代は不詳。
言い伝えによると天智天皇の御妃大宮姫が頴娃に下られる途中、この地に遺しておかれた鏡を祀ったのが始まりとされ古くは鏡大明神と称したという。
引用元 : 羽島崎神社 | 鹿児島県神社庁
御利益(御神徳)
- 福徳開運
- 五穀成就の守護神
- 魚取満足の神
- 農漁事航海安全
- 酒造
- 厄除の神
- 縁結安産
御利益を見ると漁師さんにおすすめしたくなる神社ですね。
海の町ならではって感じがします(*´꒳`*)
羽島崎神社の鳥居と参道
羽島神社の鳥居
小道をひたすら走ってると突然現れる大きな鳥居。
初めて行かれる方はこんなところに神社があることに驚かれるかと思います(笑)
良い意味で曇りが似合う鳥居だと思います。
晴れてる時の鳥居も絶対いい!!
ちなみに右側が駐車場で左側が東シナ海!!
参道
鳥居を通ってすぐに目につく『萬造寺斉望郷歌碑』。
与謝野鉄幹・晶子夫妻が鹿児島の旅で串木野を通る時に弟子の萬造寺斉のことを思い出して作った歌が彫られています。
左側に見えるのが歌碑です。
見えにくいですね、
すいません。。
参道には灯籠と狛犬がいます。
羽島崎神社の社務所
こちらが羽島崎神社の社務所。
前に来た時にお守りを買った記憶があります。
御朱印がなくて代わりにスタンプ見たいのを押してもらったはず、、、(笑)
調べてみたらあるみたいですね。
前来た時は地元のおじちゃんみたいな方が社務所を開いてくれたので書ける人と書けない人といるのかな?
目の前は椅子が置かれていて晴れてたら最高のロケーション間違いなし!!
羽島崎神社の拝殿と2社の末社。
この階段から見えてる緑色の社が羽島崎神社の拝殿です。
この階段の右手側には手水舎と由緒書きがあります。
そして拝殿がこちら!!
前来た時はあまり気にならなかったけど拝殿が緑色の神社って中々珍しいですよね。
拝殿の造りもどこか島の雰囲気があります。
菅原神社
拝殿向かって右側に鎮座されてる『菅原神社』。
もちろん学問の神様です٩( 'ω' )و
ゴンザ神社とゴンザ像
こちらは拝殿向かって左側に鎮座されてる『ゴンザ神社』。
こちらも学問の神様になります。
ゴンザ神社の横にあるゴンザ像。
ゴンザは12,000語におよぶ世界初の露和辞典を編纂した人物です。
しかもわずか3年でまとめ上げている超人っぷり!!
享保13年(1728年)、ゴンザ(当時11歳)、ゴンザの父、ソウザを含む17人が薩摩藩の命令で大阪へ向け出航することになります。
ゴンザの父は商船の舵手で航海術を教えるため10歳だったゴンザを乗船させていました。
ソウザは35歳で船の案内のために商人たちの中から雇われていました。
ゴンザたちを乗せてた船は嵐に遭いロシア領のカムチャッカ半島に漂着してしまいます。
漂着したゴンザたちを発見したコサック50人隊長のアンドレイ・シュティンニコフと彼が率いるカムチャダール人の一隊によって船員のほとんどは殺され、ゴンザとソウザだけが生き残りました。
2人は2年間奴隷のような生活でしたがシュティンニコフが日本人への残虐行為で絞首刑になったことで解放されヤクーツクに送られることになります。
その後、2人はシベリア大陸を横断しモスクワへ到達します。
そこでアンナ・ヨアノヴナ皇帝と会うことになります。
この時、ゴンザはすでにロシア語の会話ができるようになっていましたが、ソウザはほとんどロシア語が話せなかったそうです。
ゴンザは女帝の質問に対し全てロシア語で答えます。
女帝は驚きゴンザに科学アカデミーで日本語を教えるように任命します。
ソウザは残念ながら翌年に43歳で亡くなり、ゴンザはソウザが亡くなった3年後に21歳という若さで亡くなります。
引用元 : ゴンザとソウザ - Wikipedia
願いの鐘
ゴンザ神社の近くには『願いの鐘』があります。
大海原に向かって「カーンッカーンッカーンッ」と3回鳴らしました。
この鐘が案外音がデカくて高音なので自分で鳴らしときながらびっくりしました(笑)
ちなみに3回鳴らしたのには意味があります。
■ 一つ、過去不幸消滅
敬神祈願のためなり
■ 一つ、現在諸願成就
家内安全のためなり
■ 一つ、未来福徳円満
成功成就のためなり
羽島崎神社の詳細
鎮座地 | 〒896-0064 鹿児島県いちき串木野市羽島5944 |
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神社名 | 羽島崎神社 |
例祭日 | 旧2月4日 |
社格 | 村社 |
摂末社 | 2社 |
駐車場 | あり |
関連リンク | 羽島崎神社 | 鹿児島県神社庁 |