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2023年11月13日(月)。
ここには山ノ神神社・薬師神社もあります(*´꒳`*)
当記事は東光寺跡についてと『山ノ神神社・薬師神社』の参拝記です。
東光寺跡にある山ノ神神社・薬師神社
入り口は狭くちょっとわかりにくいかもです。
東光寺跡のある高台に神社もあります。
東光寺跡
こちらが東光寺跡!
こうやってみると石造物が数基あるだけのように見えますね。
ここはもとすべて墓地だったそうです。
沢山の墓石に混じって形の違うものが10基残っており、この付近に明治2年(1869年)頃まで東光寺という禅寺があったといわれてることや墓石の形や書いてある文字から、明らかに禅寺のお坊さんの墓だといえます。
ちなみに東光寺があったと言われてる場所はここから少し離れたところにある『JAあいら 牧園事業本部』の石倉付近だそうです。
ここじゃないんかい(笑)
ここを公園整備したため、10基の墓石をこの高台に移し保存しています。
墓石で最も古いのは延宝3年(1674年)のものだそうです。
当時、禅寺では漢字も教えていたと言われています。
山ノ神神社・薬師神社
山ノ神神社・薬師神社は1社にまとまっています。
鳥居の扁額をみていただくとわかりますが、『山ノ神・薬師神社』となってます。
拝殿にはいくつかの石造物があります。
お賽銭は拝殿真ん中にあるポストの受け口みたいなのがあるのでそこに入れました。
山ノ神神社・薬師神社の基本情報
【山ノ神】
明治初期 猟師・林業・農業者が山の幸にて生計を立てしころ豊穣・安全を祈願。
【薬師如来】
薬師如来瑠璃光ともいう脇侍に日光菩薩・月光菩薩をともない、衆生の病患を救い、安産を願い諸々の災難を除くという仏で、わが国では7世紀ごろから信仰が始まる。
三国名勝図絵によると
当薬師さま(座像二尺三寸定朝作)は16代藩王島津義久公直轄の東光寺に守り本尊として文禄4年(1595年)9月に安置されたところが明治初期の廃仏毀釈により寺院や大小多数の仏像ともとも焼棄破壊された後に上中宿窪田郷住民が心痛の末、発掘して山ノ神と共に薬師さまを奉祀るようになる。
史跡整備にともない地域と縁のある方々の寄付採納によりここに新しい神社が建立されたそうです。
起源自体はそれなりに歴史がありますが神社自体は新しいようですね!
東光寺跡(山ノ神神社・薬師神社)のアクセス
駐車場ありますが入り口が狭いです。
綺麗に整備されています。
所在地 | 〒899-6507 鹿児島県霧島市牧園町窪田 |
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名称 | 日峯山 東光寺跡 |
駐車場 | あり |
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